_FCとの出会い


[2001年 16歳]
高校生の頃からアメリカに移住して、16歳でCALIFORNIA DRIVER LICENSEを取得。
グリーンカード(永住権)がないとバイトもできないアメリカではバイトが出来ず
もちろん自分専用の車は自分で買わないと納得がいかないので、ずっと親のクルマを借りていた。
その名も三菱ミラージュのLSで、4ドアセダンでATだった。
もちろんノーマル 涙
でもどうしても我慢できない人間だったので、いきなりオフィス街でビデオの真似をしてサイドを
引いたのが、管理人マサヒロの走り屋人生のすべての始まり(*´ェ`*)・・・



[2002年 17歳]
免許を取る際にお世話になった、アメリカでの自動車教習系の先生に峠の場所を聞き
昼夜問わずに峠に通う。
片道およそ1時間。今では考えられないくらい通った。
峠の名前はORT*GA HIG*WAY Route74
日系スーパーマーケット内にあるAUTO FREAKというパーツ屋さんで出会った
NISSAN 240SX FASTBACK(日産180SX)乗りのリッチを通じ、TOYOTA COROLLA GTS(ハチロクトレノ)乗りのR君
HONDA CIVIC乗りのK君、SUBARU IMPREZA 2.5RS(2500cc NA仕様)のH君などと知り合って何度もその峠を通う。
ネットでインテグラ乗りのM君と出会い、彼を通じて赤色FC3Sのノンターボ乗りのY君と出会う。
さらに彼を通じてCIVIC EG4乗りのK君、FC3C乗りのT君、CIVIC SI乗りのK君、と出会う。
下りを攻めていたが、アンダーステアを殺すためにサイドブレーキをちょこちょこ引くようになる。
次第に峠の下りでも豪快にケツを滑らせることが目標になり、特定のコーナーだけFドリモドキをするようになる。



[2003 18歳]
17歳のときに出会ったFC乗りY君とは片道およそ70〜80キロ、130キロ渡航で1時間は
かかるというのに、毎週2〜3回会うようになる。
地図で日々新しい峠を探し、新しく見つけた峠に通うたびに4時間ぐらい走りまくっていた。
一番良く走っていた峠は、FULL*RTONにあるTUR*BULL CANYONで、殺人事件やカルト集団が出ると
恐れられる峠(実際に数回危険人物を見ている)。
その他GLEN*ORA MOU*TAIN ROAD, MA*IBU CANYON, TOP*NGA CANYON等の峠で暴れる。
2003年7月20日午前3時過ぎ、TUR*BULL CANYON下りの左コーナーでアンダーステアでミラージュを廃車。
(黄色い看板よりも少し左側にあるブラックマークが恐らく廃車にしたときのブレーキ痕)

レンタカーでランサーを借りるも、借りたその日にまたY君とTUR*BULL CANYONに走りに出かける。
峠でいきなりレンタカーを横に向ける。。。
約1ヶ月間レンタカーで過ごし、親が新車でATのランサーを購入する。
納車当日に峠に出向くが、慣らしのためにあまり走らせないが、数日後には横に向けられる。
新車のタイヤを数ヶ月で丸坊主にして怒られる。
受験期間だというのにかまわず峠に通い、受験対策期間中も塾をサボって峠に出かける。
受験で帰国する前日にも峠に出向く。



[2004年 19歳]
受験が無事に終わり、アメリカに遊びに戻る。
赤色FC3Sターボ乗りのM君と出会い、ノンターボFCのY君とともに3台で走る機会が増える。
いつもFC2台+ランサーのドノーマルATという妙な組み合わせで走っていたために
FCがますますうらやましくなる。

3月に日本に本帰国 ― 維持費の高そうなFCは諦め、シルビアか180SXを狙うべくバイトに励む。
3ヶ月間で39万円を稼ぎ、クルマを買ったら撮影ができるように4万円のデジカメを購入。
35万円以内でシルビアか180SXを探し始める。


[2004年 9月某日]
毎日パソコンに向かい、カーセンサーやグーネットで中古車を探し、見積もりを取る生活をしていたところ
メッセ友達でクルマ好きのSちゃんから、タダで前期FCを譲りたいという人がいるとの話が。
詳細を聞き、エアコンが効かない、塗装がボロボロ、エンストすることがある、ブレーキマスターシリンダーから
オイル漏れしている、左ミラーが折れていると聞くも、FCへの憧れとタダである
ことに魅力を感じ、さらなる詳細を聞き数日間悩んだ結果、手に入れることを決める。



初のマイカーFC3Sとの出会い

[2004年 9月20日午前11時ごろ]
初のマイカーとなる、マツダ前期型FC3S RX−7との初対面。
これが俺の愛車になるFCか!

受け取った当日のFC
距離はおよそ77000キロ。
塗装がひどかったのは事前に画像で分かっていたので、受け取る前には
後期純正のアルミボンネットを購入していた。
ブレーキマスターシリンダーからのオイル漏れがあったので修理に出す。


[2004年 11月25日現在]
受け取ってから2ヶ月と5日になる現在、距離はあと少しで8万キロになる。
ボンネットは後期純正アルミボンネットとなり、受け取ったときと違ってつやがある。笑 屋根のほうはつっこまないでね。笑
サイドウィンカーはアメリカにいたこだわりで、北米仕様のフラット+反射板入り。
その他いろいろと変更し、パーツや改造費はおよそ25万円。これからも大事にしていこうと思っていまふ。
_戻る